ニュー・シネマ・パラダイスのお伽噺の謎
2006年12月24日
宇佐美 保
この文は先の拙文《トゥーランドットと政治家》の続きでもありますので、この出だしなどと多少先の文と重複する箇所がありますが、お許し下さい。
私は、映画館やテレビで見て感動した映画のうち、3本の映画だけは、その後、そのDVDを購入しました。
1本は、「ライフ・イズ・ビューティフル」です。
(1939年、親子3人が幸福に暮らしていたのに、父親がユダヤ系イタリア人であった為、収容所に送られてしまいます。その中でも、美しく輝く夫婦の、そして、子どもへの愛情が・・・戦争の悲惨さ!
何故このように人々を悲惨な目に合わせる戦争などを私達はするのでしょうか!?
そして、ロベルト・ベニーニそして彼の奥様等が演じる主人公達が可哀相で可哀相で、このDVDは購入したままで封は切れずに飾ってあります。
なにしろ、又見たら、涙をこらえる事が出来ないでしょうから!)
2本目は、同じロベルト・ベニーニと奥様が演じる「ピノッキオ」です。
そして、3本目は、名優フィリップ・ノワレ(惜しくも11月23日ガンの為76歳で死去)が、シチリアの寒村の映画館での映写技師を演じる「ニュー・シネマ・パラダイス」です。
時は、丁度、安倍首相が感激したと言う映画「AIWAYS 三丁目の夕日」と同じ戦後間もない、テレビ登場の少し前からテレビ登場の頃です。
この「ニューシネマパラダイス」では、映写技師アルフレードが、美しい少女エレナに恋し悩む少年トトに、次のお伽噺を聞かせます。
そして、このお伽噺は、不思議な結末で終わります。
(これ以降は、この映画を御覧になっていない方で、何および情報もない状態で、この映画を楽しみたいと思っておられる方は、映画を御覧頂いた後にお読み頂けましたら幸いと存じます。)
そして、この結末(謎)の解釈を、映画では行っていますが、その解釈に私は疑問を持っているのです。
以下に、DVDの字幕を利用させていただき、そのお伽噺とその謎を紹介させて頂きます。
昔むかし王様がパーティーを開いた 国中の美しい貴婦人が集まった 護衛の兵士が王女の通るのを見た 王女が一番美しかった 兵士は恋におちた だが王女と兵士ではどうしようもない ある日 ついに兵士は王女に話しかけた 王女なしでは生きていけぬと言った 王女は彼の深い思いに驚いた そして言った “100日の間 昼も夜も 私のバルコニーの下で待っていてくれたら あなたのものになります”と 兵士はすぐバルコニーの下に行った 2日・・・10日 20日たった 毎晩 王女は窓から見たが兵士は動かない 雨の日も風の日も雪が降っても 鳥が糞をし 蜂が刺しても 兵士は動かなかった そして── 90日がすぎた 兵士はひからびてまっ白になった 眼から涙が滴りおちた 涙をおさえる力もなかった 眠る気力さえなかった 王女はずっと見守っていた 99日目の夜── 兵士は立ちあがった 梯子を持って行ってしまった |
トトが、“最後の日に?(どうして)Ma come?All
fine!”と尋ねます。
“そうだ 最後の日にだ なぜか分らない 分ったら教えてくれ“ |
とアルフレードは答えます。
後日、トトは、エレナに愛を告げますが、
エレナ
構わない 待つよ
待つ? トト 君が愛してくれるまで いいかい 毎晩 仕事が終わったら 君の家の下で待つ 気持ちが変ったら窓を開けてくれ それで僕は分る |
その後トトは、4月からエレナの窓の下に立ちます。
(あたかも、アルフレードから聞いた御伽噺のように)
そして、大晦日の夜も立ち続けますがエレナの窓は開きません・・・
でも、翌日、元旦(カレンダーのめくりからそう思います)エレナがトトの仕事場(映写室)に訪ねてきます。
それからは、二人は楽しい日々を過ごします
しかし、トトとの関係を快く思わないエレナの両親によって二人は引き裂かれる事となります。
それでも、トトは職場(映写室)でエレナの訪れを待ちますが、エレナは来ません。
トトはエレナの家に飛んで行きますが、エレナは両親と共に引っ越したあとでした。
映写室に戻り、アルフレードに誰か来た?と尋ねても、いいや!の返事しかかえって来ません
そして、
後日、トトはアルフレードに“お伽噺の謎が分った”と言います。 |
兵士が待たなかったわけが分ったよ あと一晩で王女は彼のものだ でも王女が約束を破ったら 絶望的だ 彼は死ぬだろう 99日でやめれば 王女は自分を待っていたと思い続けられる |
しかし、映画(完全オリジナル版)を見続けていると、どうもアルフレードはアルフレードなりに「兵士が最後の日に立ち去ってしまった理由」を知っていたようにも思えます。
トトの答えを聞いた後、アルフレードはトトに言います。
兵士のようにしろ 村を出ろ ここは邪悪の地だ ここにいると自分が世界の中心にいると感じる 何もかも不変だと感じる だがここを出て2年もすると 何もかも変っている 頼りの糸が切れる 会いたい人もいなくなってします 一度 村を出たら 長い年月 帰るな 年月を経て帰郷すれば 友達や── なつかしい土地に再会できる 今のお前には無理だ お前は私より盲目だ トト 誰の台詞? クーパー? フォンダ?
だれの台詞でもない 私の言葉だ 人生はお前の見た映画とちがう 人生は もっと困難なものだ 行け ローマに戻れ お前は若い 前途洋々だ 私は年寄りだ もうお前とは話さない お前の噂を聞きたい |
そして、トトはアルフレードの助言通りにシチリアを去り、その後、著名な映画監督となり、アルフレードの葬儀にシチリアに帰った際、エレナとの偶然の再会を果たします。
そして、二人だけの時を持ち、エレナはトトに
木曜日に映画館で待ってて
5時のバスで行くわ
と言いつつ約束を果たさなかったわけを話します。
映画館には 行ったのよ 少し遅れたの 両親と大げんかして・・・・・ 何とか二人を説得しようとしたの でも ダメだった 両親は・・・ シチリアを去る決心をしたわ そして 実行したのよ どうしたらよいか 分からなかった 私は両親の言う通りにすると言って・・・ 一度だけ あなたに会う許可をもらったの 私は── 会えば 何とかできると思ったの 二人で── 逃げてしまおうと・・・ 父と映画館へ行ったら アルフレードしかいなかった あなたを待つ時間はなかった アルフレードに事情を話したわ その夜 出発すると あなたへの伝言を頼んだの 彼は やさしかった 彼は私の話を真剣に聞いてくれて・・・ |
(アルフレード)
落ちつきなさい 私の言うことを お聞き トトに伝言しろというなら 伝えよう だが 彼とは別れたほうが いいと思う 二人のために そう思う つらいだろうけどね 炎は やがて灰になる 大恋愛も いつかは終わる これからも 恋はいくつも 生まれるだろうが トトの将来は一つだ 今は 彼に話しての 分ってくれない 私を憎むだけだ だが 君には分るだろう 分るね 彼のためだ |
(エレナ)
あなたにも明かさないつもりだったわ |
そして、その時こっそりと、エレナは次のメモをトトに残した事を告げます。
ごめんなさい 事情はあとで話します たいへんだったの 今夜 母とトスカーナへ 発ちます 引っ越します あなただけを愛してます 他の人は愛しません 誓います 友人の住所です ここに手紙を下さい 私を捨てないで あなたのエレナ |
でも、トトはその時はこのエレナのメモに気付かなかったのです。
アルフレードのエレナへの説得の言葉
“炎は やがて灰になる 大恋愛も いつかは終わる” |
が、アルフレードなりの、お伽噺に於ける兵士の最後の行動の理由だったのかもしれません。
でも、私は、その理由に疑問を持ちます。
そして、最後まで見終わると、“この映画はアルフレードの解釈でよかったのかしら?”とも思います。
しかし、私が、このお伽噺の兵士だったら、兵士と同じ行動をとります。
(少なくとも、同じように行動しようと努力します。)
その理由は、先の拙文《トゥーランドットと政治家》をお読み頂いたお方なら、この謎がお分かりと存じます。
兵士が、最後の99日目の夜に立ち去らず、100日間、昼も夜も王女のバルコニーの下で待っていたら、兵士には、王女の約束通りに、王女を自分のものにする事が出来ます。
当然の権利です。
でも、兵士は、あと一日なのに、自らの当然の権利を放棄します。
これは、もうお分かりと存じますが、
兵士の行動は、オペラ「トゥーランドット」に於ける、韃靼の王子カラフがとった行動と同じです。 |
(以下、前文と若干重複する事をお許し下さい。)
カラフは、3つの謎を解いた男と結婚する、解けなかったら首を落とす、との約束のもと、3つの謎を解き、結婚の権利を得ます。
しかし、トゥーランドットが結婚を嫌がると、なんと
カラフは、自分の権利をあくまでも主張することなく |
、トゥーランドットに向かって、次のように歌います。
“私は、首をかけてトゥーランドットの3つの謎を解いた。 いま、逆に、私は、貴方に1つの謎を出す。 貴方は、私の名前を知らない、私の名前は何か? 明朝までに、貴方がわかったら、私は死にましょう!” |
そして、夜明けまで、あと数時間(数分)カラフは黙っていれば、トゥーランドットは、カラフの名前を解き明かす事は不可能なのですから、カラフはトゥーランドットと結婚する当然の権利が生じます。
しかし、カラフはこの権利を自ら放棄するのです。
日の出前に、自らトゥーランドットに “自分の名前は、カラフである”と告げるのです。 |
そして、トゥーランドットは、夜明けとともに集まってきた皆の前で“この異邦人の名前が分った!” と、喜びの声を上がるのです。
そして、トゥーランドットが声にしたのは、なんと・・・
“その名は、愛!” |
ですから、
喩え、兵士は、ひからびてしまっていてもあと一日頑張って、 王女との約束通りに100日の間、王女のバルコニーの下で待つ事は十分可能だったのです。 |
でも、その結果得た兵士の権利は、兵士にとっては確かに貴重な権利ですが、王女に対する強制力を持つ権利なのです。
たとえ、王女が兵士を快く思っていなくても、 兵士は、恋する大事な王女にそのような悲しみを与える事は苦痛でもあったでしょう。 (又、そのような結婚が幸せを齎すとも思えません。) |
そこで兵士は故意に、自分の権利をあと一日と言うところで放棄したのです。 そして、その時点で王女が、このような兵士に対して好意を抱いていたら、 |
勿論、王女が兵士が約束を遂行しなかったと言って兵士との結婚を拒否する場合もありましょう。
でも、兵士は、自分の権利より王女の幸せを優先したのです。
これが、「ニューシネマパラダイスのお伽噺の謎」の私の答えです。
日本を盛んに「美しい国」と呼ぶ方も居られますが、こんな素晴らしいお伽噺が存在するイタリアは、なんと素敵な美しい国なのでしょうか!!
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